Pc--722 #1正像末和讃   正像末和讃 #2夢告讃   康元二歳[丁巳]二月九日夜   寅時夢告云 (1) 弥陀の本願信すへし  本願信するひとはみな  摂取不捨の利益にて  無上覚をはさとるなり D-- #1正像末和讃 正像末浄土和讃    愚禿善信集 #2三時讃 (2) 釈迦如来かくれまし〜て  二千余年になりたまふ  正像の二時はおはりにき  如来の遺弟悲泣せよ D-- (3) 末法五濁の有情の  行証かなはぬときなれは  釈迦の遺法こと〜く  竜宮にいりたまひにき (4) 正像末の三時には  弥陀の本願ひろまれり  像季末法のこの世には  諸善竜宮にいりたまふ P--723 (5) 大集経にときたまふ  この世は第五の五百年  闘諍堅固なるゆへに  白法隠滞したまへり (6) 数万歳の有情も  果報やうやくおとろへて  二万歳にいたりては  五濁悪世の名をえたり (7) 劫濁のときうつるには  有情やうやく身小なり  五濁悪邪まさるゆへ  毒蛇悪竜のことくなり D-- (8) 無明煩悩しけくして  塵数のことく遍満す  愛憎違順することは  高峰岳山にことならす (9) 有情の邪見熾盛にて  叢林棘刺のことくなり  念仏の信者を疑謗して  破懐瞋毒さかりなり (10) 命濁中夭刹那にて  依正二報滅亡し  背正帰邪まさるゆへ  横にあたをそおこしける D-- (11) 末法第五の五百年  この世の一切有情の  如来の悲願を信せすは  出離その期はなかるへし (12) 九十五種世をけかす  唯仏一道きよくます  菩提に出到してのみそ  火宅の利益は自然なる (13) 五濁の時機いたりては  道俗ともにあらそひて  念仏信するひとをみて  疑謗破滅さかりなり P--724 (14) 菩提をうましきひとはみな  専修念仏にあたをなす  頓教毀滅のしるしには  生死の大海きはもなし (15) 正法の時機とおもへとも  底下の凡愚となれる身は  清浄真実のこゝろなし  発菩提心いかゝせん (16) 自力聖道の菩提心  こゝろもことはもおよはれす  常没流転の凡愚は  いかてか発起せしむへき D-- (17) 三恒河沙の諸仏の  出世のみもとにありしとき  大菩提心おこせとも  自力かなはて流転せり (18) 像末五濁の世となりて  釈迦の遺教かくれしむ  弥陀の悲願ひろまりて  念仏往生さかりなり (19) 超世無上に摂取し  選択五劫思惟して  光明寿命の誓願を  大悲の本としたまへり D-- (20) 浄土の大菩提心は  願作仏心をすゝめしむ  すなはち願作仏心を  度衆生心となつけたり (21) 度衆生心といふことは  弥陀智願の廻向なり  廻向の信楽うるひとは  大般涅槃をさとるなり (22) 如来の廻向に帰入して  願作仏心をうるひとは  自力の廻向をすてはてゝ  利益有情はきはもなし P--725 (23) 弥陀の智願海水に  他力の信水いりぬれは  真実報土のならひにて  煩悩菩提一味なり (24) 如来二種の廻向を  ふかく信するひとはみな  等正覚にいたるゆへ  憶念の心はたへぬなり (25) 弥陀智願の廻向の  信楽まことにうるひとは  摂取不捨の利益ゆへ  等正覚にいたるなり D-- (26) 五十六億七千万  弥勒菩薩はとしをへん  まことの信心うるひとは  このたひさとりをひらくへし (27) 念仏往生の願により  等正覚にいたるひと  すなはち弥勒におなしくて  大般涅槃をさとるへし (28) 真実信心うるゆへに  すなはち定聚にいりぬれは  補処の弥勒におなしくて  無上覚をさとるなり D-- (29) 像法のときの智人も  自力の諸教をさしおきて  時機相応の法なれは  念仏門にそいりたまふ (30) 弥陀の尊号となへつゝ  信楽まことにうるひとは  憶念の心つねにして  仏恩報するおもひあり (31) 五濁悪世の有情の  選択本願信すれは  不可称不可説不可思議の  功徳は行者の身にみてり P--726 (32) 無礙光仏のみことには  未来の有情利せんとて  大勢至菩薩に  智慧の念仏さつけしむ (33) 濁世の有情をあはれみて  勢至念仏すゝめしむ  信心のひとを摂取して  浄土に帰入せしめけり (34) 釈迦弥陀の慈悲よりそ  願作仏心はえしめたる  信心の智慧にいりてこそ  仏恩報する身とはなれ D-- (35) 智慧の念仏うることは  法蔵願力のなせるなり  信心の智慧なかりせは  いかてか涅槃をさとらまし (36) 無明長夜の灯炬なり  智眼くらしとかなしむな  生死大海の船筏なり  罪障おもしとなけかされ (37) 願力無窮にましませは  罪業深重もおもからす  仏智無辺にましませは  散乱放逸もすてられす D-- (38) 如来の作願をたつぬれは  苦悩の有情をすてすして  廻向を首としたまひて  大悲心をは成就せり (39) 真実信心の称名は  弥陀廻向の法なれは  不廻向となつけてそ  自力の称念きらはるゝ (40) 弥陀智願の広海に  凡夫善悪の心水も  帰入しぬれはすなはちに  大悲心とそ転すなる P--727 (41) 造悪このむわか弟子の  邪見放逸さかりにて  末世にわか法破すへしと  蓮華面経にときたまふ (42) 念仏誹謗の有情は  阿鼻地獄に堕在して  八万劫中大苦悩  ひまなくうくとそときたまふ (43) 真実報土の正因を  二尊のみことにたまはりて  正定聚に住すれは  かならす滅度をさとるなり D-- (44) 十方無量の諸仏の  証誠護念のみことにて  自力の大菩提心の  かなはぬほとはしりぬへし (45) 真実信心うることは  末法濁世にまれなりと  恒沙の諸仏の証誠に  ゑかたきほとをあらはせり (46) 往相還相の廻向に  まうあはぬ身となりにせは  流転輪廻もきはもなし  苦海の沈淪いかゝせん D-- (47) 仏智不思議を信すれは  正定聚にこそ住しけれ  化生のひとは智慧すくれ  無上覚をそさとりける (48) 不思議の仏智を信するを  報土の因としたまへり  信心の正因うることは  かたきかなかになをかたし (49) 無始流転の苦をすてゝ  無上涅槃を期すること  如来二種の廻向の  恩徳まことに謝しかたし P--728 (50) 報土の信者はおほからす  化土の行者はかすおほし  自力の菩提かなはねは  久遠劫より流転せり (51) 南無阿弥陀仏の廻向の  恩徳広大不思議にて  往相廻向の利益には  還相廻向に廻入せり (52) 往相廻向の大慈より  還相廻向の大悲をう  如来の廻向なかりせは  浄土の菩提はいかゝせん D-- (53) 弥陀観音大勢至  大願のふねに乗してそ  生死のうみにうかみつゝ  有情をよはふてのせたまふ (54) 弥陀大悲の誓願を  ふかく信せんひとはみな  ねてもさめてもへたてなく  南無阿弥陀仏をとなふへし (55) 聖道門のひとはみな  自力の心をむねとして  他力不思議にいりぬれは  義なきを義とすと信知せり D-- (56) 釈迦の教法ましませと  修すへき有情のなきゆへに  さとりうるもの末法に  一人もあらしとときたまふ (57) 三朝浄土の大師等  哀愍摂受したまひて  真実信心すゝめしめ  定聚のくらゐにいれしめよ (58) 他力の信心うるひとを  うやまひおほきによろこへは  すなはちわか親友そと  教主世尊はほめたまふ P--729 (59) 如来大悲の恩徳は  身を粉にしても報すへし  師主知識の恩徳も  ほねをくたきても謝すへし    已上正像末法和讃          五十八首 #2誡疑讃 (60) 不了仏智のしるしには  如来の諸智を疑惑して  罪福信し善本を  たのめは辺地にとまるなり D-- (61) 仏智の不思議をうたかひて  自力の称念このむゆへ  辺地懈慢にとゝまりて  仏恩報するこゝろなし (62) 罪福信する行者は  仏智の不思議をうたかひて  疑城胎宮にとゝまれは  三宝にはなれたてまつる (63) 仏智疑惑のつみにより  懈慢辺地にとまるなり  疑惑のつみのふかきゆへ  年歳劫数をふるととく D-- (64) 転輪皇の王子の  皇につみをうるゆへに  金鎖をもちてつなきつゝ  牢獄にいるかことくなり (65) 自力称名のひとはみな  如来の本願信せねは  うたかふつみのふかきゆへ  七宝の獄にそいましむる (66) 信心のひとにおとらしと  疑心自力の行者も  如来大悲の恩をしり  称名念仏はけむへし P--730 (67) 自力諸善のひとはみな  仏智の不思議をうたかへは  自業自得の道理にて  七宝の獄にそいりにける (68) 仏智不思議をうたかひて  善本徳本たのむひと  辺地懈慢にむまるれは  大慈大悲はえさりけり (69) 本願疑惑の行者には  含花未出のひともあり  或生辺地ときらひつゝ  或堕宮胎とすてらるゝ D-- (70) 如来の諸智を疑惑して  信せすなからなをもまた  罪福ふかく信せしめ  善本修習すくれたり (71) 仏智を疑惑するゆへに  胎生のものは智慧もなし  胎宮にかならすむまるゝを  牢獄にいるとたとへたり (72) 七宝の宮殿にむまれては  五百歳のとしをへて  三宝を見聞せさるゆへ  有情利益はさらになし D-- (73) 辺地七宝の宮殿に  五百歳まていてすして  みつから過咎をなさしめて  もろ〜の厄をうくるなり (74) 罪福ふかく信しつゝ  善本修習するひとは  疑心の善人なるゆへに  方便化土にとまるなり (75) 弥陀の本願信せねは  疑惑を帯してむまれつゝ  はなはすなはちひらけねは  胎に処するにたとへたり P--731 (76) ときに慈氏菩薩の  世尊にまふしたまひけり  何因何縁いかなれは  胎生化生となつけたる (77) 如来慈氏にのたまはく  疑惑の心をもちなから  善本修するをたのみにて  胎生辺地にとゝまれり (78) 仏智疑惑のつみゆへに  五百歳まて牢獄に  かたくいましめおはします  これを胎生とときたまふ D-- (79) 仏智不思議をうたかひて  罪福信する有情は  宮殿にかならすむまるれは  胎生のものとときたまふ (80) 自力の心をむねとして  不思議の仏智をたのまねは  胎宮にむまれて五百歳  三宝の慈悲にはなれたり (81) 仏智の不思議を疑惑して  罪福信し善本を  修して浄土をねかふをは  胎生といふとときたまふ D-- (82) 仏智うたかふつみふかし  この心おもひしるならは  くゆるこゝろをむねとして  仏智の不思議をたのむへし 已上二十三首仏不思議の弥陀 の御ちかひをうたかふつみと かをしらせんとあらはせるな り P--732 #2聖徳奉讃          愚禿善信作 皇太子聖徳奉讃 (83) 仏智不思議の誓願を  聖徳皇のめくみにて  正定聚に帰入して  補処の弥勒のことくなり (84) 救世観音大菩薩  聖徳皇と示現して  多々のことくすてすして  阿摩のことくにそひたまふ D-- (85) 無始よりこのかたこの世まて  聖徳皇のあはれみに  多々のことくにそひたまひ  阿摩のことくにおはします (86) 聖徳皇のあはれみて  仏智不思議の誓願に  すゝめいれしめたまひてそ  住正定聚の身となれる (87) 他力の信をえんひとは  仏恩報せんためにとて  如来二種の廻向を  十方にひとしくひろむへし D-- (88) 大慈救世聖徳皇  父のことくにおはします  大悲救世観世音  母のことくにおはします (89) 久遠劫よりこの世まて  あはれみましますしるしには  仏智不思議につけしめて  善悪浄穢もなかりけり (90) 和国の教主聖徳皇  広大恩徳謝しかたし  一心に帰命したてまつり  奉讃不退ならしめよ P--733 (91) 上宮皇子方便し  和国の有情をあはれみて  如来の悲願を弘宣せり  慶喜奉讃せしむへし (92) 多生曠劫この世まて  あはれみかふれるこの身なり  一心帰命たへすして  奉讃ひまなくこのむへし (93) 聖徳皇のおあはれみに  護持養育たへすして  如来二種の廻向に  すゝめいれしめおはします D--    已上聖徳奉讃           十一首 #2悲歎述懐讃 愚禿悲歎述懐 (94) 浄土真宗に帰すれとも  真実の心はありかたし  虚仮不実のわか身にて  清浄の心もさらになし (95) 外儀のすかたはひとことに  賢善精進現せしむ  貪瞋邪偽おほきゆへ  &M006218;詐もゝはし身にみてり D-- (96) 悪性さらにやめかたし  こゝろは蛇蝎のことくなり  修善も雑毒なるゆへに  虚仮の行とそなつけたる (97) 無慙無愧のこの身にて  まことのこゝろはなけれとも  弥陀の廻向の御名なれは  功徳は十方にみちたまふ (98) 小慈小悲もなき身にて  有情利益はおもふまし  如来の願船いまさすは  苦海をいかてかわたるへき P--734 (99) 蛇蝎&M006218;詐のこゝろにて  自力修善はかなふまし  如来の廻向をたのまては  無慙無愧にてはてそせん (100) 五濁増のしるしには  この世の道俗こと〜く  外儀は仏教のすかたにて  内心外道を帰敬せり (101) かなしきかなや道俗の  良時吉日えらはしめ  天神地祇をあかめつゝ  卜占祭祀つとめとす D-- (102) 僧そ法師のその御名は  たうときことゝきゝしかと  提婆五邪の法ににて  いやしきものになつけたり (103) 外道梵士尼乾志に  こゝろはかはらぬものとして  如来の法衣をつねにきて  一切鬼神をあかむめり (104) かなしきかなやこのころの  和国の道俗みなともに  仏教の威儀をもとゝして  天地の鬼神を尊敬す D-- (105) 五濁邪悪のしるしには  僧そ法師といふ御名を  奴婢僕使になつけてそ  いやしきものとさためたる (106) 無戒名字の比丘なれと  末法濁世の世となりて  舎利弗目連にひとしくて  供養恭敬をすゝめしむ (107) 罪業もとよりかたちなし  妄想顛倒のなせるなり  心性もとよりきよけれと  この世はまことのひとそなき P--735 (108) 末法悪世のかなしみは  南都北嶺の仏法者の  輿かく僧達力者法師  高位をもてなす名としたり (109) 仏法あなつるしるしには  比丘比丘尼を奴婢として  法師僧徒のたふとさも  僕従ものゝ名としたり  已上十六首これは愚禿かかな  しみなけきにして述懐とした  りこの世の本寺本山のいみし D--  き僧とまふすも法師とまふす  もうきことなり  釈親鸞書之 #2善光寺讃 (110) 善光寺の如来の  われらをあはれみまし〜て  なにはのうらにきたります  御名をもしらぬ守屋にて (111) そのときほとをりけとまふしける  疫癘あるひはこのゆへと  守屋かたくひはみなともに  ほとをりけとそまふしける D-- (112) やすくすゝめんためにとて  ほとけと守屋かまふすゆへ  ときの外道みなともに  如来をほとけとさためたり (113) この世の仏法のひとはみな  守屋かことはをもとゝして  ほとけとまふすをたのみにて  僧そ法師はいやしめり (114) 弓削の守屋の大連  邪見きはまりなきゆへに  よろつのものをすゝめんと  やすくほとけとまふしけり P--736 #2自然法爾章   親鸞八十八歳御筆 獲の字は因位のときうるを獲と いふ得の字は果位のときにいた りてうることを得といふなり名 の字は因位のときのなを名とい ふ号の字は果位のときのなを号 といふ自然といふは自はおのつ からといふ行者のはからひにあ らすしからしむといふことはな り然といふはしからしむといふ ことは行者のはからひにあらす 如来のちかひにてあるかゆへに D-- 法爾といふは如来の御ちかひな るかゆへにしからしむるを法爾 といふこの法爾は御ちかひなり けるゆへにすへて行者のはから ひなきをもちてこのゆへに他力 には義なきを義とすとしるへき なり 自然といふはもとよりしからし むるといふことはなり弥陀仏の 御ちかひのもとより行者のはか らひにあらすして南無阿弥陀仏 とたのませたまひてむかへんと D-- はからはせたまひたるによりて 行者のよからんともあしからん ともおもはぬを自然とはまふす そときゝてさふらふちかひのや うは無上仏にならしめんとちか ひたまへるなり無上仏とまふす はかたちもなくましますかたち もましまさぬゆへに自然とはま ふすなりかたちましますとしめ すときは無上涅槃とはまふさす かたちもましまさぬやうをしら せんとてはしめに弥陀仏とそき P--737 ゝならひてさふらふ弥陀仏は自 然のやうをしらせんれうなりこ の道理をこころゑつるのちには この自然のことはつねにさたす へきにはあらさるなりつねに自 然をさたせは義なきを義とすと いふことはなを義のあるへし  これは仏智の不思議にてあるな り D-- #1正像末和讃 (115) よしあしの文字をもしらぬひと はみな  まことのこゝろなりけるを  善悪の字しりかほは  おほそらことのかたちなり (116) 是非しらす邪正もわかぬ  このみなり  小慈小悲もなけれとも  名利に人師をこのむなり   已上 D-- P--738